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焙煎士特集 vol.3 森崇顕インタビュー前編「コーヒーにはまったきっかけは美容院。中米のコーヒー農園に住み込みで働いた意味は大きかった」Interview: Takaaki Mori, owner & roaster of COFFEE COUNTY.
焙煎士特集では、同じ産地の同じロットの生豆を、3人のロースター達に焙煎していただきます。暮らしている場所の風土も、生きてきた人生も、それぞれのコーヒーへの向き合い方も三者三様の3人の焙煎士が、それぞれどのような焙煎をしてくださるか、また、それが飲む私たちにどのような発見をもたらしてくれるのか、ぜひ楽しんでいただきたいと思っています。
そこで、その焙煎士のひとり、福岡・久留米の人気ロースタリー「COFFEE COUNTY(コーヒーカウンティ)」のオーナーで、その技術やキャリア、お人柄が多くのプロ達からも尊敬される、森崇顕さんにインタビューさせていただきました。
前編は、幼い頃から学生時代のこと、コーヒーの世界へ入ったきっかけとなった出来事や、中米ニカラグアに渡り、農園に住み込みで働いたことなど、森さんがCOFFEE COUNTYをオープンする前の時代のお話を中心に伺いました。
—宮崎県延岡市で生れ育ったそうですが、幼い頃はどんな子供でした?
小生意気な子供でした。大人がなんか言うたびに小賢しかったとは言われますね。中学校くらいまで体も小さかったんです。
—どんなものを食べて育ちましたか?
実家が延岡市で飲み屋をやっていたのですが、自宅と繋がっていて、母親も祖母もそこで働いていたのでよく遊びに行っていました。 なので、常連のお客さん達に小料理屋にはよく連れて行ってもらうけど、ファミレスに行った記憶はほどんどないという、ちょっと珍しい環境でしたね。
—将来の夢はありましたか?
そういう特殊な環境もあって、料理人に憧れていました。あれが美味いとか、あれはだめだとか生意気なことを言っていましたね。兄弟のなかでもそういうものに対してうるさかったですね。
—宮崎にいた頃、どのような学生時代を過ごしましたか?
スポーツはバスケやサッカーをやりましたけど、得意なわけでもなかったです。高校は県立の普通の高校に行って、2年生までは成績もたいしてよくなかったんですけど、途中から火がついて勉強しましたね。理系がもともと好きですし、焙煎の思考回路は理系なんでしょうね。
—それで大学進学と同時に上京し、上智大学理工学部に行かれたのですね。もともとコーヒーはお好きだったんですか?
コーヒーは嫌いでした。缶コーヒーでもなんでも匂いが嫌いだったので、20歳くらいまではノータッチでした。
—では、嫌いだったコーヒーに興味を持ったきっかけは?
大学生のとき、美容院に行ってパーマをかけていたんです。パーマをかける時、だいたい30分くらい熱いヘルメットみたいなのを頭からかぶって、その間ってなにもできないじゃないですか。それで美容師さんが雑誌とコーヒーを出してくれて、それ飲んだ瞬間に、「あぁ、なんかコーヒーって美味しいな」って思ったんです。身動きがとれない不自由な状況でコーヒーが飲める、制限がある環境で、そういうタイミングがあったんです。
—美容院のパーマがきっかけだったとは!それから何かアクションを起こしましたか?
それでコーヒーって面白いってなって、豆とミルを買いに行きました。わりとハマると凝りたくなるタイプではあるんで、帰って豆挽いてドリップして、っていうのをはじめたのが大学生の時です。
—それでそのままコーヒー業界に進もうと思ったんですか?
あまり普通の一般企業に就職しようとも思わなかったんです。就職するか、大学院に進む友人が多いなか、僕は当時の彼女(今の奥様)が住んでいた札幌に行きました。それで、「自家焙煎珈琲店CAFÉ RANBAN」という超浅煎りをネルドリップで淹れる個人経営のお店で働き始めました。当時スタバとかはあったし、東京でもいろいろお店をまわったけど、2000年当時は浅煎りの美味しさはそこだったんですよ。
感覚的に浅煎りをリードして先取りしていたというよりは、体に気持ちがいいものというか、苦くなくて甘くて酸が綺麗で美味しいっていう、マスターが本当に好きなコーヒーをやっていたんでしょうね。学生時代から時々遊びにいったりしていて知りあいになって、そこで働かせてもらったかんじです。
—ランバンさんはいかがでしたか?
2年間働きましたが、個人経営のお店だったので、コーヒーだけでなく掃除とかコーヒー以外のことにもめっちゃ厳しくて大変でした。 それに、九州の人間が北海道で半年雪の生活するって合わないんでしょうね、しかも知り合いもほぼいない環境で。でも、そのぶん感謝してるというか、そこでの経験は大きいですし、技術的なことは置いておいても、今までコーヒーやってきて師匠といったらその人しかいないです。
—その後、九州に戻ったのですか?
それから九州に帰って、福岡のコーヒー屋さんで働きました。札幌はマスターの世界だったので、もうちょっと大きいところに行こうと思って、「珈琲舍のだ」っていう自家焙煎のサイフォンで淹れるお店で4年働きました。
僕、喫茶店が好きなんです。落ち着いた感じというか、ランチメニューがいろいろあるカフェよりは、静かに本読んでコーヒー飲んで、っていう空間ですね。
—その4年間では何を得ましたか?
なんでしょうね。そこはマスターは現場には立たないで4-5店舗を循環して、その下にマネージャーや店長がいるっていう組織だったので、それを体験したのは面白かったかな。個人の思想っていうよりは、会社の動き方を見ることができたんですね。コーヒーの値段も1杯550円くらいでそこそこいいお金もらう。ちょっとホテルのバーのような感じを想像してもらったらわかりやすいかな。
—その後は?
もう少し大きな規模の、昔ながらのロースターに就職しました。その会社はちょうど2代目に変わったタイミングで、工場で焙煎を始めて、直営店の見直しをして、ブラッシュアップを図っていたときでした。 そこに僕が入って、スペシャルティコーヒーの焙煎のクオリティコントロールや「タウンスクエアコーヒーロースターズ」という新店舗の立ち上げに関わりました。
札幌の時は、アシスタントとして焙煎するマスターのために全部準備していたけど、福岡では自分で焙煎ができるようになって、今度の店は僕が焙煎自体をコントロールできる立場になりました。
—そこをやめたのはなぜですか?
産地に行きたかったんです。北海道にいる頃から思っていましたが、コーヒーに関わっている以上は、どんなところでどんな人が作っているかを知りたいじゃないですか。当時、会社でそういう取組みをしていたのは丸山珈琲さんとか小川珈琲さんとかくらいだったので、そうじゃないならコーヒーやっていてもしょうがないな、豆をやいているだけでは面白くないなって思うようになりました。
—で、会社を辞めて産地に行ったんですね。
本当は1年くらい行きたかったんですけど、事情があって3カ月だけ中米に行きました。ニカラグアのカサブランカ農園で手伝いながら、エルサルバドルやホンデュラスやメキシコ行ったり、後藤さんの世界大会のサポート(豆香洞コーヒーの後藤直紀。後藤さんはその大会で優勝)でフランスに行って、またニカラグアに戻ったりしていました。それが2013年です。
—産地はどうでした?
それは大きかったですね。何か大きく思考が変わったかといえばそうでもないんですけど、その経験を自分のなかに持っているのは大きいです。3カ月農作業をしてみて、自分がそれをずっとできるかといったらそうじゃなくて、やっぱり自分は日本に帰って来てその人たちが作ったコーヒーをうまくお客さんに伝えなくてはいけないっていう使命感を持ったし、それでモチベーションがあがっていったっていうのはあるし。
—それで、お店をオープンしたんですね。
最初は自分のお店をやろうと思ったわけじゃないんですけど、産地を見ていろいろ知ったのに組織に戻ったら結構厳しいかもな、じゃあもう自分でやるしかないかなって、消去法ですね(笑)。
それで2013年の9月に帰国して、11月11日にお店をオープンしました。最初は卸したりローストしたりするだけで、お店をやろうって思ってなかったんですけど、 場所が通りに面していたから、コーヒーも出してみようかって。豆屋だけど、ちょっとコーヒーも飲めますっていうスタイルでした。
—福岡ではなく、久留米にしたのはなぜですか?
筑後市に住んでいたこともあったし、福岡市は遠いしコストもかかるし、お店もたくさんあるから久留米でのんびり自分のペースでやろうって思いました。 でも最初はお金もないし誰も来ない日もあったし、しんどかったですよ。しかもオープン当時は お店にニカラグアの2種類のコーヒーしか置かなかった。 実際に行って自分で買い付けたっていうのが大きかったし、そのほうがコンセプトも伝わると思ったんです。今では、久留米にしたことも、たった2種類のコーヒーだけでスタートことも、全部良かったかなって思います。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ひとつひとつの質問に、一度腕を組んでじーっと考えてから、穏やかに丁寧に、そして的確に答えてくださる姿が印象的でした。しかし、コーヒー嫌いだった森さんのベクトルをコーヒーの世界に向かわせたのは、美容院のパーマの機械だったとは!!どこに人生を変える出逢いのきっかけがあるか、わからないものですね。
後編は、焙煎のことを中心に、森さんが生きる上で大切にしていることや、好きなことについてをお話してくださいました。お楽しみに。
インタビュー& 撮影:高綱草子 Kaya Takatsuna
プロフィール
森崇顕 Takaaki MORI
1980年宮崎県延岡市生まれ。上智大学理工学部在学中、美容院で飲んだ一杯のコーヒーがきっかけで、それまで嫌いだったコーヒーに興味を持つ。卒業後は札幌と福岡のコーヒー店で働き、焙煎やマネージメント、店舗開業などに携わる。
その後、中米に渡り、ニカラグアのカサブランカ農園に数ヶ月滞在し、生産現場を経験。
帰国後、2013年11月11日に福岡・久留米に「COFFEE COUNTY」をオープン。
2016年には2店舗目を福岡市内に、2019年には3店舗目「STOCK(ストック)」を天神にオープンする。ストックは、人気パン店「パン・ストック」とのコラボレーションショップ。
また、焙煎大会やカップテイスターズなど、コーヒーの競技会でも常に上位の成績をおさめ、バリスタ大会などでは審査員も務める。
趣味は、自然派ワイン
【店舗情報】
COFFEE COUNTY (コーヒーカウンティ) 住所:福岡県久留米市通町102-8電話番号:0942-27-9499
営業時間:11:00 - 19:00
定休日:火曜日
https://www.instagram.com/coffeecounty/
COFFEE COUNTY (コーヒーカウンティ)2号店 住所:福岡市中央区高砂1-21-21
電話番号:092-753-8321
営業時間:11:00 - 19:00
定休日:水曜日
COFFEE COUNTY (コーヒーカウンティ)3号店「STOCK」STOCK 住所:福岡市中央区西中洲 6-17
電話番号:092-406-5178
営業時間:8:00 - 20:00
定休日:月曜日・第1、第3火曜日
https://www.instagram.com/coffeecountystock/
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