都心から50キロほど離れた埼玉県東松山市というところに、とってもユニークなコーヒーマンがいるのをご存知ですか?
彼の名前は小柳貴人さん。
昨年日本に帰国するまで8年間ニュージーランドで暮らし、現地の人気店でヘッドバリスタとして活躍。またコーヒーの味覚の正確さとスピードを競い合うカップテイスターズという国際大会では、ニュージーランド王者となりニュージーランド代表として世界大会にも出場した異色の経歴をお持ちです。さらには、NZ国内のラテアートの大会でもたくさんの優勝歴があるというスーパーマンです!
今年から本格的に”コヤナギコーヒーニッポン”をスタートさせた小柳さんに、コーヒーやNZ、今後の生き方についてをいろいろ伺いました。
—どういう経緯でコーヒーの世界へ?
大学の商学部を卒業した後、日本のIT技術関連の会社に就職し、マーケティング部門で働いていましたが、30歳になる頃に一度自分と向き合って、自分がどういうことに向いているのか真剣に考えました。そこで改めて、自分はコーヒーと人が好きだと思ったので、その2つを組み合わせてバリスタという職業が浮かびました。そして31歳になる前に、NZのワーホリビザを2012年5月にニュージーランドへ渡りました。
—経験もなく海外に行って、すぐにコーヒーの仕事に就けるものなのですか?
僕はそれまでほとんど飲食業界で働いた経験がなかったので、職を得ることがすごく大変だったのを覚えています。最初の1ヶ月は語学学校に通い、2週間のバリスタコースを並行して受講したのですが、カフェでバリスタとして働けるような実践的な技術を積むことはできず、最初はどのカフェに応募しても全然ダメでした。半年くらい職がないまま、自宅に家庭用のエスプレッソマシンを購入しひたすら自分で練習して、ある程度ラテアートができるようになり、2012年12月、ついにあるカフェで採用してもらえることになったんです。それまで本当に大変でした。
—半年経ってようやく掴んだバリスタの職は、いかがでしたか?
すごく楽しかったです。仕事にも一生懸命取り組み、オーナーにも気に入ってもらえたみたいで、ワーホリビザを労働ビザに切り替えて働き続けてほしい、とビザのサポートをしてもらい、滞在の延長が決まりました。残念ながらその後そのカフェは閉店してしまい、以前から繋がりのあったスペシャルティコーヒーの焙煎会社「トーステッドエスプレッソ」のマリカさんという方に他のカフェを紹介していただき、そこに移り2年半勤務しました。
その間、NZ国内のラテアート大会などで良い成績を収めたり、カフェの売上が上がったりしたのをマリカさんがみていて、2016年、トーステッドがヘッドクオーターを移転しロースタリーカフェを開くタイミングで声をかけてくださって、そこでカフェマネージャーとして雇用されました。
ー素晴らしいですね。トーステッドはどのようなコーヒーショップなのですか?
トーステッドは、NZ国内に60ほどのカフェを顧客としてコーヒー豆の卸売りを行う中規模のコーヒー焙煎会社です。僕は当初カフェマネージャーとして入りましたが、職域がどんどん広がっていって、バリスタトレーナー、営業サポート、シングルオリジンの焙煎など、カフェでコーヒーを作る以外の業務が増えていきました。
この時すでにバリスタとして働いて4年くらい経っていましたので、自分にとってはバリスタ以外の仕事がとても楽しかったのを覚えています。トーステッドには日本に帰国するまで4年半勤務したのですが、その経験が、のちに自分の焙煎所を立ち上げるのにすごく役立ちました。
—日本に帰国したのはなぜですか?
トーステッドではコーヒービジネスに関するあらゆることを経験できたのですが、それもひと通り習得すると、なんとなくぬるま湯に浸かっているというか、新しいこと、学ぶべきことが会社から降りてくるわけではないとわかりました。そんな中、「自責と他責」という言葉を知り、会社に所属するのは安定しているけれど、どこか他人事というか、人のふんどしで相撲を取る状態だと気付きました。それならば1からビジネスを立ち上げて、良いことも悪いことも、すべて自分で背負い、自分で責任を取りたいと思い始めました。それからまもなくしてコロナで6週間のロックダウンがあって。そこで今後のことを深く考えましたね。
—ニュージーランドのロックダウンはどんな感じでしたか?
スーパーと病院、フードのピックアップやデリバリーがあるくらいであとは外出禁止。一気に全ての日常が止まってしまいました。でも、国から毎週5万円くらいもらえるので、家賃払って少し食べ物買って、とんとんくらいの生活をできていたんです。物凄く時間ができたので、生活習慣をかえたり、料理したりしながら、いろいろ考えて、両親も歳をとってきたし、このタイミングで日本に戻って、自分でコーヒーの焙煎所をやろう、と決めました。
—それで8年間暮らしたNZを離れて、帰国されたんですね。
はい、実家に戻ってきました。ここは、もともと両親の縫製業の仕事場だったんですよ。2020年の7月末に帰国して2週間隔離の後、床の張り替えや壁のペンキ塗りなど最低限の改装をして焙煎所にしました。コーヒーの焙煎会社で働いていたおかげで、どういうものが必要かわかっていたから、2ヶ月間で準備して、すぐに豆の販売所としてオープンできました。
—小柳さんはコーヒーの味覚の正確さを競い合うカップテイスターズチャンピオンシップで優勝して、NZ代表で世界大会に出られたそうですね。
はい。2016年に優勝しました。実は、それまではラテアートの国内大会にずっと出場していたのですが、カップテイスターズにもずっと興味があったので、とりあえず1度出てみよう、とあまり深く考えずにエントリーしてみました。準備期間もなかったので、大会前日に会社の仲間たちと一回だけ練習をしたんです。今考えれば、ラッキー勝ちみたいなところがありましたね(笑)。NZは競技者が30人でリミットなので、日本と比べても競争率は高くないと思います。
—といっても、世界大会でも優秀な順位でしたよね。カップテイスターズで勝つのは、味覚のセンスが一番大事ですか?
準決勝にはいけなかったですが、35か国中9位でした。世界の舞台は自分にとってはすごく良い経験になりました。この大会はだいぶ運も左右するとは思います。3択問題が8問あるので、分からなくても3割の確率で当たります。何度も味を見て迷っていると時間が過ぎてしまうし、急いでやりすぎるとミスをするし、戦略が大事だと思います。それから頼れるのは自分の味覚と嗅覚だけなので、体調を万全で臨めるかどうかも結果に大きく影響すると思います。
—ところで、小柳さんにとってコーヒーの美味しさってなんですか?
僕にとって美味しいコーヒーとは、酸味と甘味のバランスが取れて、その豆が持つ風味やフレーバーが最大限に引き出されているコーヒーだと思います。美味しいコーヒーの液体になるには、生豆のクオリティはもちろん、焙煎、エイジング(焙煎からどのくらい日数が経ったか)、抽出、あらゆる条件がそろう必要がありますね。
—コーヒーの酸味に関して、酸っぱいという人もいますが、それに関してはどういう考えをお持ちですか?
そこですよね。コーヒーの酸味は、焙煎をする人にとっては永遠のテーマかもしれません。たとえば、レモンは酸っぱいけど、はちみつレモンはおいしいね、という人は多いと思います。コーヒーにも、レモンのような尖った酸を持つもの、甘みが引き出され酸味と調和しておいしい味になっているもの、があります。僕は後者がおいしいと思うので、焙煎で酸を残しながら甘みが出るポイントを狙っています。
近年スペシャルティコーヒーの業界では、フレッシュなフルーツのようなフレーバーを出そうとするあまり、生焼けになってしまっているものも多いです。僕のコーヒーは、フレッシュなフルーツというよりは、煮詰めすぎないジャムのような、フルーティさを持った甘いコーヒーに焙煎したいと常々思っています。
この焙煎所に足を運んでくださる方は、コーヒーの酸味が苦手、という方が多いのですが、ありがたいことに、僕の甘酸っぱいコーヒーを飲んでコーヒーの酸味を受け入れられる、という方がすごく多いです。スペシャルティコーヒーは酸っぱい、と思っている方にはぜひ一度飲んでいただきたいですね。
—いいですね。では小柳さんは、なぜコーヒーを続けていますか?
自分好みのコーヒーを飲むために焙煎しているのが大きな理由かもしれません(笑)。あとは多分、人を繋げるためなのかな。ありきたりかもしれないけど、人が人を呼んでその人たちが繋がって、僕はそこに入ったり入らなかったりするんですけど、そういうことがこの焙煎所でよく起こる気がします。
—いいですね。では、人生で最も大切にしてることを教えてください。
一番大切にしていることは、僕の目の前にいる人が幸せな気持ちになったり、癒されたりして欲しいということです。コーヒーは1つの手段かもしれないですね。そこにいる人たちの心の安らぎだったり、優しい気持ちになったり、なんかそういう風になってまた明日から頑張ろうってなって、そんなことが自分を通してできるのであれば、これ以上嬉しいことはないですよね。
僕の人生を振り返ってみると、大学に行ってるときには家庭教師をやって、NZに行ってもコーヒートレーナーとしてコーヒーを教えたり。日本に帰ってきてからも、バリスタトレーニングや焙煎に関するアドバイスなど、自分の経験を誰かに伝える、という機会が多いです。自分自身はどちらかというと、いろいろなことを深く掘り下げて理由を考えるタイプなので、コーヒーに関しても自分で研究することにすごく時間をかけて今の技術や知識を身につけてきたと思うんです。自分がつまづいた部分、困ったところがたくさんあったからこそ、それを他の人に教える時になるべく解決してあげられるようにしたいと思っています。その過程で人と繋がりながら今に至ってるんです。だから、これからもそんな感じで生きていくのかなって思っています。
—これからコーヒーの世界での実現したいことや目標はありますか?
約1年、コヤナギコーヒーニッポンという焙煎所を続けてきて、お客さんのコーヒーの概念をひっくり返すような瞬間、コーヒーの新しい扉が開く瞬間にたくさん立ち会うことができました。そんな瞬間をもっともっと見たいですし、それによって広がる輪を大切にしていきたいと思います。
すでに僕のコーヒーがないと困る人もいらっしゃるので(笑)、自分自身が健康で、エネルギッシュな状態で、この焙煎所をちゃんと続けてたくさんのお客さんを迎えたいと思っています。
—最後に、小柳さんにとって美しいとはなんですか?
難しいですね。そんなこと考えたことないです。でも、すべては調和とハーモニーだよなって思います。コーヒーの味のことで言えば、酸味や苦味が際立つのがいやだから、ちゃんとバランスをとる。それから、自然は美しいですよね。NZ で自然の素晴らしさに気づきました。樹齢2000年とか3000年とかの木が普通にあるんですよ。今も花とか、木とか、空、星、月、、、よく歩きながら見上げています。
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とにかく朗らかで元気。一緒にいると、こちらまで笑顔になってしまうほどパワフルな小柳さんは、今後日本を拠点に、焙煎士としての仕事のほか、店舗のコンサルティングやコーチ、ゲストバリスタなど多岐に渡って活躍されること間違いなしです。
そこで、カフェパトリシアでは、来る9月23日(祝日)に小柳さんをゲストバリスタとしてお呼びし、ニュージーランド時代にカフェで人気だったドリンクの数々やラテアートを提供していただけることになりました!
木曜日は定休日ですが、祝日であるこの日は特別に通常営業いたします。
普段はお店に立たず、自身の焙煎所で豆を販売しているだけなので、本格的なラテアートを間近で拝見できるとても貴重な機会です。お時間ある方はぜひ、ニュージーランドスタイルのエスプレッソを体験してください!
そして、いつでもコーヒーの疑問に答えてくださる小柳さんに、なんでもどしどし質問してください!
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まもなく公開します!お楽しみにしていてください。
※コロナ禍で取材が延期されており、更新が遅れて申し訳ありません。
窪田さん焙煎の「いつもよりキラキラ」をご購入され、QRコードでこちらに来てくださった皆さま、今しばらくお待ちください。
]]>東京・笹塚駅から徒歩5分の場所に、北欧の豆を使ったコーヒーが飲める素敵なコーヒーショップがあるのをご存知でしょうか。そのお店の名前は「Dear All(ディアオール)」。東京・新宿で生まれ育ち、中学からの同級生だった星祐太郎さんと峰村命さんが共同経営しています。
この度、「café Patricia(カフェパトリシア)」をオープンするにあたって、エスプレッソを美味しく出すために、どなたかにコーチをお願いしようと考え、まっさきに浮かんだのが、このお二人のお店でした。
Dear Allは、今まで国内外の多くの有名ロースターの豆を取り扱い、それぞれの特徴を生かした素晴らしい一杯を提供し続けています。特に彼らのシグネチャードリンクであるカプチーノは、口に含んだときの質感が心地良く、甘さがあって、ミルクとのバランスも素晴らしく、多くのファンがいるメニューです。
入り口のガラス戸から自然光が差し込むDear Allの明るい店内で、カップ片手に楽しそうに会話するお客さん達の様子を眺めていると、まるで海外のコーヒーショップにいるかのような気持ちに。そこで、この心地よい空間を提供している共同経営者でバリスタの峰村命さんに、お二人の今までのことや、これまでたどったコーヒーのこと、これから先のことなどを伺いました。
—お二人が、このお店を一緒にやることになったいきさつは?
実は、僕たちはお互い13歳から知ってるんです。学生時代から、休みの時はいつも一緒に買い物行くくらい仲が良かったし、19歳からは一緒にショッピングサイトを作ったりして、何か一緒にビジネスしたい気持ちがあったんです。その後、星は大学に行き、僕は留学したのでしばらく離れてましたけど、また意気投合しました。星は、人の生活に寄り添った事業をやりたいってずっと言っていたので、2015年の末、すでにバリスタとして働いていた僕が、「その事業に僕のコーヒーの能力使ってみない?」って提案して、2016年初頭から準備をはじめて、 6月にDear Allがオープンしました。紆余曲折ありながらも続けてきて、まもなく5周年です。
—5周年おめでとうございます!峰村さんがコーヒーの世界に入ったきっかけは?
もともと大手のカフェ、レストラン会社で働いていましたが、そのお店はコーヒーにフォーカスしているわけではありませんでした。そのあと、家族の事情で僕が精神的にまいってしまい、仕事にいけなくなった時期があったんです。それでずっと家に引きこもっていたんですけど、ある日、友人が「どっか行かない?」って、僕のことを連れ出してくれて。それで、自然がたくさんあるところがいいと思って軽井沢に行きました。ようやく到着した頃に、どこかで休憩しようと検索したら、近くに丸山珈琲があることがわかったんです。
—丸山珈琲本店ですか?
はい。 ガラガラって引き戸を開けて入って、スリッパ履いて入っていくと、暖炉で火が焚かれている部屋がありました。そこで、創業した1991年が名前になっているブレンドを飲んだんですけど、一口飲んだ瞬間に全てが開眼したんですよ。なんだか、コーヒーにすごい感謝が生まれて。当時まだ丸山さんのことも知らなかったんですが、すぐにスペシャルティコーヒーを調べて、家でも淹れたくなって、翌日に東急ハンズに行ってハンドドリップの器具を一式買いました。それで、今度はコーヒー専門店で働いてみようと思ったんです。
—そこからどのようにコーヒーのキャリアを?
コーヒーやエスプレッソにはすでに触れていましたが、出勤前によく通っていたパドラーズコーヒーが、参宮橋から今の場所へ移転する際、半年ほど手伝ったことがあり、そこでさらにコーヒーに専門的になっていきました。その後、フリーでイベントしたりしていくうちに、どんどんバリスタになりたい気持ちが大きくなって。本格的になったのは、Saturdays Surf NYC(サタデーズサーフ 、現サタデーズニューヨーク)に行ってからです。サタデーズには最初、お客として通っていたんですけど、僕が美味しいと思える甘くて苦くないラテを出していたんです。当時のサタデーズには、石谷貴之さんとネム(Nem Coffee & Espresso)の渡邊拓実さんがいましたね。
—そこでバリスタチャンピオンの石谷さんと出会ったのですね。
あとから石谷さんがコーヒー業界ではすごい人だってことを知るんですけど、エスプレッソの屈指のバリスタに習えるならと思って、それから2年くらいサタデーズで働いて、石谷さんからはいろんなことを教えてもらいました。エスプレッソのベースとなる技術や所作を徹底的に叩き込まれましたね。サタデーズでは、全国に店舗展開していくときに、バリスタのトレーニングなどを担当しながら、お店の立ち上げにも関わることができました。
—今のDear Allのコーヒーの美味しさは、それまでにさまざまなお店で鍛えたことがベースになっているのですね。
そうですね。教わったこともあるけど、結局は自分の信じる美味しさを突き進んできました。独立してからは、自分の味作りをさらに極めたくて、ブラッシュアップを常に続けています。今の味に満足せずに、毎回発見があればそれを吸収し、もっと成長を続けられると思って、全メニューのレシピ作りをしています。
—お店をオープンしてから気付いたことはありますか?
やはり、地域密着じゃないと続かないです。チェーン店が満員なのに、うちらの店はガラガラだなって嘆いたこともあったけど、日々丁寧に一杯一杯作って、 暇な時ほどより丁寧にお客さんに接客をすることを心がけていたら、自然とお客さんが増えていきました。数年前から海外のロースターを扱っていますけど、コロナ禍でも豆を買いに来てくださいますね。良いものを扱い、納得のいく焙煎具合の豆であることは譲れないので、主に浅煎りを扱っていますが、この街でスペシャルティコーヒーの素晴らしさを伝えることはできているかなって思っています。
—今は、北欧のコーヒーを扱っていますね。
今は、Prolog Coffee Bar(プロローグコーヒーバー)とCoffee Colletive(コーヒーコレクティブ)という、デンマークのコペンハーゲンにあるロースターの豆を扱っています。プロローグは最初、お客さんが北欧土産で買ってきてくれたのを飲んだときに美味しくて感動したことがきっかけです。その後、コペンハーゲンにも行きました。コレクティブは大きな会社だし有名ロースタリーなので、普通に素晴らしいところでしたし、プロローグはまだ1店舗しかないっていう規模感もうちと似てて、スタッフ誰が入れても毎回コーヒーが美味しくて。すでにお客さんがクロワッサン食べてカプチーノ飲むっていうスタイルが出来上がっていたんです。
—デンマークのコーヒー文化はどう感じましたか?
同じ人が1日3回くらいコーヒーショップに来ますね。単にコーヒーが好きなのか、お店に寄ることが好きなのか、出勤前にコーヒーを通して人と会ったり、ひとりで来てテイクアウトしたり、早めに来てゆっくり過ごしたり、それぞれが楽しんでます。みんなどんどん豆買ってくし、コーヒーが好きですよね。フィーカっていう言葉があるように、コーヒーを飲む時間を大事にしています。日本だとまだ朝7時から満席のコーヒー専門店なんてないですからね。
—峰村さんがコーヒーを出すうえで大切にしていることは?
バランスが大事。それから、砂糖とミルクなしで飲めたら最強だなって思ってます。理想は甘くて苦くないコーヒー。それを表現できるのは浅煎りかなって思ってますし、僕らが扱うコーヒーではそれを実現できるんです。コーヒーの苦手意識がある人も美味しく飲めるコーヒーなんじゃないかなって思っています。
それから、カプチーノが好きなので、カプチーノの最終出来上がりにもフォーカスしています。丸くて甘くてフレーバーもあって、質感も苦さがのこらないようなエスプレッソを理想としていますね。エスプレッソとミルクの両方が美味しくないと、美味しいカプチーノは出来上がらないんです。
—コーヒを通して実現したいことは?
自由になんでもできる環境ですが、店舗展開とかは興味ないので、シンプルにもっと自分のコーヒーを知ってもらいたいです。有名なバリスタさんはいっぱいいると思うんですけど、ここにも美味しいコーヒーあるんだぞって言いたいです。トレーニングやセミナーで教えるのも好きですし、イベントで実際に作ることもあるので、あらゆるところで僕らのコーヒーを飲んで欲しいですね。
—最後に、峰村さんにとって、美しいとはなんですか?
昨日、山梨に行く途中、ずっと続く緑の木々や、晴れた空がとても綺麗で、電車の窓から見えた自然の美しさに感動していました。僕は競技会にも挑戦しているし、メンタルが弱いところがあるので、日々コーヒーに向き合っていると、精神的なものに左右されることがあるんです。でも、ふと仕事を離れたときに、空や緑などに触れると、自然の美しさに浄化されて、また次の日頑張ろうってなるんですよ。 軽井沢の丸山珈琲本店の暖炉で火が焚かれている部屋で、窓の外の雪景色を眺めながら、「本当に美しいな」って思って飲んだ一杯のコーヒーのおかげで今の僕があるように、やっぱり美しさとは自然なのかなって思います。
*****
毎日出すお店のコーヒーをより美味しくするために、日々努力を惜しまない峰村さんの誠実さが伝わってきました。Dear Allで食べられる焼き菓子などのスイーツもおすすめです。新宿方面に行かれる際は、ぜひDear Allで美味しくて優しい時間をお過ごしください。
取材:高綱草子 Kaya Takatsuna
]]>出演アーティスト、もう一人はシンガーソングライターでギタリストのおおはた雄一さん。
昨年デビュー15周年を迎えたおおはたさんは、2004年アルバム「すこしの間」でデビューして以来、ソロ活動を続けながら、坂本美雨さんと「おお雨」としてユニット活動したり、多くのアーティストやCMに楽曲を提供したりしています。また、代表作「おだやかな暮らし」は多くのアーティストにカバーされています。
そして、おおはたさんは大のコーヒー好き。毎朝ミルで豆を挽き、ドリッパーで淹れた深煎りのコーヒーをマイボトルに入れて持ち歩いているそうです。過去には、広島のコーヒーショップとコラボしたドリップバッグを商品化したことも。
そんなおおはたさんに、音楽のことやコーヒーのこと、そして大切に思っていることなどを伺いました。
—幼い頃はどのような子供でしたか?
バスケや野球が好きで、わりとスポーツ少年でした。バンドブームで「イカ天」(多くのバンドを輩出した深夜番組のコーナー『三宅裕司のいかすバンド天国』)「ホコ天」(原宿駅の歩行者天国で活躍していたバンド)があって、学校中がバンドに夢中だった中学生の頃にギターを始めました。 当時はJUN SKY WALKER(S)とか人気でしたね。
—ギタリストになろうと思ったのはいつですか?
なにかを始めると、けっこうそのことばっかり夢中になっちゃうタイプで、ギタリストになろうってはっきり決意した瞬間はないんですけど、気が付いたらギターにのめりこんでいましたよね。ギターの前はスケボーにのめりこんだりしましたけど。自然とギターに夢中になっていった感じです。
—最も影響を受けたアーティストをあげることはできますか?
1人には絞れないですね。今でもやっぱり心の中に太くいるのは、ビル・フリゼールというギタリストですね。彼は、一音出しただけで、もう本当にいいんですよ。ただただ、いい音を奏でてる。ライブに行くと、一音聞いただけで、「ああ来てよかったな」って思えるすごいミュージシャンです。
—おおはたさんは、歌も歌われますね。
歌は、わりと昔から好きだったんですけど、意識してちゃんと歌おうと考えたのは、自分で弾き語りをしてからなので、ここ20年くらいですね。
—ギターを弾いてると歌いたくなりますか?
歌う必要のないときもたくさんあって、ギターだけでいいときもあります。基本的にはギターで音楽との接点があって、そこの上に自分があるって感じかなぁ。だから、歌だけ歌いたいっていう気持ちはないですね。
—コロナになって、アーティストは大変な状況になったと思いますが、おおはたさんはどう過ごされていたんですか?
僕だけじゃなくてみんな大変だと思うんですけど、意外と適応能力があるのかなっていう気はしました。 考え方は変わりましたよね。 良い意味でリセットできたし、物もこんなに必要ないなって思ったり、時間もできたし、自分にとっては悪い面ばっかりじゃなかったと思います。
一時期、空もすごく綺麗だったし、緑も深くなったし、もしかしたらコロナの前の世界のほうが異常だったんじゃないかなって思いました。立ち止まるっていうのは、悪いことばっかりじゃないですよね。
—そうかもしれませんね。音楽を続ける上で大切にしていることはありますか?
続けていくのに、自分に燃料を与え続けるのはすごく大変じゃないですか。ある程度続けていくと興味も止まっちゃうし。自分に何か面白い餌みたいなものをぶら下げたり、スタッフの提案があったりして、刺激をもらうことも大事だと思います。
だから、このコーヒーのイベントにしても、周りから「やってみない?」って声かけてもらって、自分だけでは行けない場所に行くっていうのは、続けていくためには良いことかなぁとは思うんですけどね。
—今までギターを続けてきて、ギターから得たものってたくさんありますよね?
自分でも気づいていないことも含めて山ほどあるんじゃないですかね。ギターは木ですから、木を毎日触っているというのは、精神的にも良いだろうし、ギターになるまでに何百年も経っている木を触ることも、弦を弾く振動も、体にとってはいいんでしょうね。
—そうですねぇ。それを何十年も抱えていらっしゃるんですもんね。
そうですね。そう考えると。ギターってわりと個人的な楽器だなって思っていて、自分だけのためにやるっていう側面もすごく大きいなって思います。それはプロでもアマでも関係なくて、ただ弾くだけでも意味がある。技術は関係ないです。
—おおはたさんにとってチャンスってなんですか?
何か周りの状況が変わっていったり、環境が変わらざるを得ないときは、チャンスなのかなって思います。その瞬間に自分でそれがチャンスだとわかっていなくても、結果的にみたら、あの時やっておいてよかったなって思うこと、きっとそれはチャンスだったんだなって思います。
—おおはたさんにとって成功とはなんですか?
結果はどっちでもいいから、自分で決めたことをやっている実感が持てることですかね。そういう感覚は僕も欲しいし、自分が常にそういう選択をしていたいなぁって思いますね。無意識にわりと人が言うことを鵜呑みにして聞いちゃうことがあるんだけど、自分で考えるって大事ですよね。
例えばギターは、修理してくれる人のベストと、僕の考えるベストは違うんですよ。僕にとってはちょっと木が曲がっているほうが弾きやすかったりするし、自分だけに合うものってありますよね。
—生きる上で大切にしていることはありますか?
音楽に関して言えば、結局は手を抜くことができないから、やりだしたら自分の色をしっかり出せてるかっていうことを大事にしています。
でも人生に関しては、うーん、あんまないかな。だから、こんなになっちゃってるんだろうなぁ(笑)。
—では、おおはたさんにとって美しいとはなんですか?
透明感とか、美しいと思うことは多いですけど、最近は友部正人さんというフォークシンガーの方の立ち姿や佇まいは美しいと思います。生きていると、美しくないって思うものが多いから、出会うと嬉しいですよね。自分もそうなりたいと思いますよね。
—ところでコーヒーはお好きですか?
毎日ミルでガリガリやって、ペーパーかネルを使って淹れて、コーヒーをポットに入れて持ち歩いてます。 深煎りのちょっと甘いようなのが好きです。僕は盛岡が好きなんですけど、なぜなら盛岡って良い喫茶店がたくさんあるんですよ。「クラムボン」ていうお店があるんですけど、そこのコーヒーが好きで時々取り寄せます。僕は深煎りが好きですね。東広島のEARTH BERRY COFFEE(アースベリーコーヒー)さんで、自分のオリジナルコーヒーバッグを作ってもらいましたよ。
—すごくお好きなんですね!嬉しいです。ぜひイベントでもたくさん飲んでください。
はい、だから楽しみにしているんです。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
素晴らしいギターの音色で、多くのアーティスト達をも魅了するおおはたさん。語りかけるような優しい歌声と唯一無二のギターの音色が、今、先の見えないこの社会状況で不安で戸惑う私たちに、穏やかな安らぎの時間を与えてくださる気がします。
今、音楽が必要な人の心にしっかり届きますように。
インタビュー:高綱草子 Kaya Takatsuna
]]>今年の川越コーヒーフェスティバルミニの出演アーティスト、リ・ファンデさん。
サニーデイ・サービスの曽我部恵一主宰のレーベルROSE RECORDから、2017年にLee&Small Mountainsとしてアルバム「カーテン・ナイツ」をリリースしてデビューを飾り、その後もシンガーソングライターとしてのソロ活動を続けながら、在日ファンクやシアターブルックなど人気ミュージシャンとのコラボも積極的に行なっています。来年には奇妙礼太郎さんとのツーマンライブも控えているリさんですが、普段は、企業でフルタイムで働きながら、プロとしてアーティスト活動を行うというユニークなキャリアの持ち主でもあるんです。そんなリさんに、コーヒーのお話や、好きな音楽のこと、そしてご自身の強みや美しいと思うことなどを伺いました。
—聞いた話によると、リさんはコーヒーお好きだそうですね。
散歩がてら、家も近いので蔵前エリアで飲むことが多いです。それに、嫁さんとはもともと地元の茨城のコーヒー屋さんで出会ったんですよ。嫁さんが店長で、僕がアルバイトでした。だから、そういう意味ではコーヒーは自分の中で大きな存在です。蔵前あたりを散歩しながら、よくふらっとコーヒーショップに入ります。
—どんなコーヒーがお好きですか?
深煎り派です。先日、曽我部さん(サニーデイ・サービスの曽我部恵一)とも深煎りが好きって話をお互いにしていました。
—ところでリさんは、小さい頃から音楽好きでしたか?
3人兄弟の末っ子なんですけど、兄がニルバーナとかオアシスを聞いていたのを見ていて、音楽に興味をもちました。でも、兄とはちょっと違う方向にいこうと思って、ゆずとかウルフルズとか、もっとフォーキーで日本の優しいメロディーを歌う人達を聴くようになりました。それでフォークギターを買って演奏していました。
—大学は上京して青山学院大学に進まれたそうですね。
それまでは茨城にいて、ロックを本気で好きな友達は周りにいなくて、自分の本当に好きなことの話しをなかなか共有できなかったんです。でも大学は、みんなひとりひとり趣味があるし、政治の話しもできるし、ロック好きな人もたくさんいたし。それで東京にでてきて少し心が楽になったんです。
ナンバーガールとか、サニーデイとかに影響をうけて、それからブラックミュージックやソウルミュージックも聴くようになりました。
—でも音楽の道へは進まずに、就職したんですね。
前の会社には今年の初めまで10年いました。でも、スポーツ関係の仕事だったので、自分の興味のあるカルチャーや音楽には縁がなかったんですよ。それで、どうしても音楽への思いが強いので、仕事は続けるにしても、音楽と遠くなりすぎない仕事にしようと思って、転職しました。今はコーヒーのマーケティングの仕事をしています。 今のほうが音楽好きな人も多いし、気持ちが楽になりました。
—今は、フルタイムで働きながらライブ活動をされているイメージが強いですが、ライブはプロレベルですよね。それはどういう理由からですか?
周りの人たちを心配させることにとても居心地の悪さを感じる性格なので、心配させずに好きな音楽をやるにはどうしたらいいか、って考えて、今のように働きながら好きなことをやるという選択肢を選びました。
—影響を受けた人は?
真心ブラザーズのYO-KING さんとかウルフルズのトータス松本さんが一番影響受けたかもしれないですね。トータスさんは歌もいいし、ルーツをしっかり持っているし、昔のソウルミュージっくを歌わせたら、めちゃくちゃかっこいです。
YO-KINGさんは詩人て感じがする。音楽を始めた頃は、彼の詩を一番読んだかもしれないですね。
—昨年川越に来てくださった、奇妙礼太郎さんとも交流がありますね。
僕がすごく好きなんです。自分のイベントに出てくださったり、レコーディングに参加してくれたりしてます。奇妙さんは、まずすごく歌がうまいですよね。あとは 媚びてる感じが一切ないのがすごくかっこいいなって思ってます。
—川越って今まで縁ありますか?
ライブは初めてで、おそらく行ったことがまだないんですよ。でも川越って、僕が今まで 属してきたコミュニティに、川越出身者が1人はいるイメージがありますね。軽音楽部にもいたし、職場にもいるし、どこにも必ず1人はいます(笑)。だから、楽しみです。
—音楽する上で大切にしているものは?
自分がいいと思うもの、自分が聞きたいと思うものを作ることが大切だと思います。
—リさんの一番の強みはなんですか?
無心になれることじゃないですかね。あまりこう見られたいとかいう感覚があまりないです。末っ子だからかもしれないけど、いるだけで存在意義があるっていう環境だったので、自分が思っていることや感じていることしか歌に入れていないのが特徴かもしれないですね。
—ところでリさんにとって美しいとはなんですか?
強さかなって思います。音楽にしても、コーヒーにしてもそういうことを感じるものってないですか?
一回だけでなく、何回飲んでも発見があるというか、真の強さがあるというか、
たとえばビートルズの名盤と言われているものは、すでに何億人の人たちが聞いていて、それでもまだ新しい人たちが聞いてすごいって思う。それは強いし、それが美しさなんじゃないかなって思います。僕が思う強さというのは、見た目よりも内側から出る美しさですね。
—最近そういう美しさを感じたことはありますか?
ミュージシャンですと、カネコアヤノさんは美しいし強いなと思います。奇妙さんも美しいなと思うし、建物だったら、京都のお寺とか、映画でもずっと残るものは美しいなと思います。映画は「アンタッチャブル」とか、マフィア系もなんとも言えない美しさを感じて好きです。
—これから音楽とはどういうスタンスで生きていこうと思っていますか?
自分の中では結構決めています。30歳までにレコードも出せないならやめようと思っていたら、曽我部さんに声かけてもらってROSE RECORDからレコード出せたんですよ、それで35歳までにどうにもならなかったら辞めようと思っていたら、今年アルバム出せて、聴いてくれる人が増えてきたんでまだ続けようと。次は40歳までにプロとしてやっていけるレベルに達していなかったら、辞めようとおもっています。
—すごいですね、音楽に生かされている感じがします。最後に、ライブに来る方にメッセージをお願いします。
曲を聴いて、「僕自身もうっすらそういうことを思っていたんだよな」って呼び起こされるようなことがあればいいなと思います。隠してる気持ちというか、隠してしまったものを、ライブを聞いている時だけでも復活させてくれたらいいなと思います。
★★★★★★★★★★★★★★★★
ストレートな強さと繊細さが交錯する歌詞は、明るくて優しくてちょっと切なく懐かしい。自分のアーティストとしての才能を時に客観的に見極めながら、自分の心地良い環境で音楽を続けている姿勢がとても素敵です。ここ数年で、大きく飛躍するに違いないアーティスト。ぜひ一度歌声を聴いてください。ライブ、お楽しみに。
撮影:安達美聡
協力:ROUTE BOOKS
]]>石井康雄さんインタビュー後半は、焙煎のことを中心に、石井さんが美味しいと思うコーヒーや、これからのビジョンなどを伺いました。プロボクサーの時代に叶わなかった世界チャンピオンの夢を、今、コーヒーという舞台で成し遂げようとする石井さんの行動力は必読。 ワクワクするお話をたくさんお聞きしました。
—石井さんは、焙煎士としてのイメージが強いですね。
もともと職人肌なんですよ。 コーヒーは抽出から入ったんですけど、抽出が極まってくると焙煎がしたくなって、 焙煎を知れば知るほど、さらにひとつのことをとことん突き詰めるようになりました。今は、作ることに喜びや生きがいを感じています。振り返れば、プロボクサーの頃から自分は職人気質だったんだって思います。
—それでもサービスやセンスも素晴らしいのは飲食業界にいたからですか?
もちろん職人として、面白くて良いものを作っていくのはすごく大事なんだけど、お客さんの喜ぶ姿をみたり、美味しいって思ってくれたりするのを感じられる接客もすごく好きなんです。だから僕は、黙々と焙煎して抽出して、それを美味しいって思ってくれるエンドユーザーの笑顔まで欲しいと思ってます。
—焙煎で大切にしていることを教えてください。
素材の味を最大限に引き出すことです。焙煎で素材を超えることはできなくて、抽出で焙煎を超えることはできない。つまり、素材が一番大事。次にそれを調理していく焙煎が大事かなと思っています。だから良いコーヒーを手に入れることと、良いコーヒーを判断することができるセンサリーの技術はすごく大事にしています。
—生豆はどうやって選んでいるんですか?
カップした時、甘くてクリーンでフルーティである豆が最強ですね。香気成分で800種類もあるフレーバーはもちろん大事にしてはいますが、フレーバーがたっても綺麗じゃないコーヒーはあまり好きではないですね。
—焙煎の魅力は?
焙煎は嘘つかないです。正直でいられるし、裏切らない。結局うまくいかなかったら、それは自分のせいなんで。ちょっとスピリッチュアルな言い方かもしれないけど、素直になれるということかな。
—焙煎はどうコーヒーに影響すると思いますか?
もちろん技術も大事だけど、気持ちは絶対に影響すると思っています。美味しくなれと思って焙煎するのと、ただ単にやいてるのでは、絶対に最終的な味は変わるし。ただ抽出してるだけの人と、気持ち込めて抽出してる人でも全然違うと思います。
—石井さんの焙煎の強みは何だとおもいますか?
僕には先生がいないので、いろんな人のプロファイルをみても、同じように焼いてる人は誰もいないです。グラフだけ見ると、もちろん似ているところもありますが、 釜の中の環境、排気の力、回転数で及ぼす味の変化みたいなものを僕なりに一個一個細部まで検証していっているんで、とにかくオリジナリティがあると思います。フレーバーと甘さの両方を最大限に取るのは無理なので、焙煎でその中間のスポットにばちっと当てると、甘くてフルーティなコーヒーができるんです。
「リーブスってどんなコーヒー?」って聞かれたら、「甘くてフルーティでクリーンなコーヒー」っていうのを繰り返し言ってるし、そういう方向になっています。でも、まだまだもっともっと美味しくなると思っています。
—やっぱりすごく考えられてるんだなって、改めて感じました。
めっちゃ考えてますね。だから、うまくいかなかった時は、すごくショック。焙煎日と営業日をわけているのも、焙煎にしっかり集中したいからなんです。焙煎日まで営業しなきゃ生活できないならやらなきゃだめだけど、僕はそれをやってクオリティが落ちてしまったら本末転倒だと思ってます。一番は美味しいコーヒーを作ること。このクオリティを維持するためには、開けたくても週3日しか開けられないんです。
—なぜ焙煎機はプロバットですか?
焙煎したいと思ったときから、とにかく世界中のコーヒーを飲みまくったんですよ。細かい情報を入れずに、美味しいって思うところをまずは飲んでいったんです。それであとから焙煎機を調べてみたら、年代違いはあれど全部プロバットだったんです。
—へぇ!!!
その頃から僕の味の評価の基準は、濃い薄いじゃなくて、厚みがあるかだったんですけど、プロバットは味が立体的だったんですよ。歌に例えると、イントロがあって、Aメロ、Bメロ、それからサビがある、みたいな。そういう食べ物とかコーヒーを美味しいって思います。
プロバットは、そういう僕が好きな味を作れると思っています。しかも、昔の鉄の素材のほうが密度が高くて蓄熱が高いから、あえて50年代の古い釜を使っています。壊れたところや足りないものは全て新しくして、いろいろカスタマイズしたのでこれは世界で1台しかないです。
—なんか、ロマンがあっていいですね。コーヒーを仕事にする上で大変なことはありますか?
実はないんですよ。一回も仕事って思ったことがなくて。だから、なんでしょうね。すごくクサい言い方ですけど、人生そのものみたいになっちゃってます。趣味もコーヒーだし、だから今、めっちゃ最高なんですよ。
—いろんなことを経験した先にそれがあったって、最高ですね。コーヒーの世界で影響を受けた人は?
影響ともちょっと違うかもしれないけど、フグレンの小島賢治(Fuglen Tokyoのオーナーで焙煎士)の考え方や、コーヒーとの向き合い方はすごく好きかな。めちゃくちゃストイックだし、僕より前にグルテンフリーやってたし。
—東京のコーヒーカルチャーはどう捉えてます?
うーん、ちょっと不安はあるかな。全然否定してるわけではないですけど、本物もたくさん出てきてますけど、 ファッションでやってる人も多いと思っていて。おしゃれだから気軽にコーヒーややりたいっていうのはちょっと危険かなって思います。結局はそれでご飯食べて生きていかなければならないわけだから、もっと慎重になったほうがいいよって。
—社会で気になることは?
時代が変わります、本当に。個人能力がある人じゃないと生きていけない時代。どこかの企業に就職するような、雇用関係が当たり前の時代が終わると思っています。そうなると、みんなが自分にしかできないことを持つことがすごく大事になってくると思います。
—自分にしかできることが何か、見つけられない人はどうしたらいいですか?
夢が見つからない人や、何をしていいかわからない人は、夢がある人の下で一度は働いてみたらいいよ、ってアドバイスします。
—いいですね。ところで、石井さんにとって美しいとはなんですか?
なんでしょう、、、。笑顔ですね。人の笑顔が一番美しい。ありきたりかもしれないけど、笑顔でいれば何でも解決できると思っています。
—これからのビジョンを教えていただけますか?
僕は焙煎の大会(WCRC ・ワールドコーヒーロースティングチャンピオンシップ)で世界を獲りたいです。リーブスコーヒーの石井っていうよりは、リーブスコーヒーを世界一の焙煎所にしたい。リーブスコーヒーを一隻の船だと考えると、僕が1代目の船長で、その後2代目、3代目ってずっと航海し続けていくことを目指しています。そのためには、チャンピオンの協力だけでなく、自分がチャンピオンにならないとって思ってます。僕が引退したあとも、リーブス船がずっと沈まないように。
—これは、もうすぐチャンピオンになりますね。
年明けに、このプロバットの隣にギーセン(オランダ製GIESEN焙煎機。焙煎の世界大会で使用されているのと同じもの)が来ます。こんな時期に買っちゃったんですけど、人生一回だしいいかなって。
これから、世界のコンペティター(競技者)の豆もどんどんやきたいんですよ。僕のところに大会の豆をやいて欲しいって世界中から依頼がくるようになったら面白いなって思っています。「コンペティターの豆を焙煎しているのはリーブスさん」て言われるようなブランドにもなっていきたい。焙煎はそのくらいまで極めたいですね。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
石井さんのお話を伺っていて、この焙煎士特集は、もしかしたら100年後に日本を代表するコーヒー専門店の老舗となっている、その初代の焙煎士で創業者のコーヒーを比べているのかもしれないと、ふと思いました。そう考えたら、さらに壮大でロマンがありますね。
焙煎士特集で3人の豆を味わったあとは、ぜひそれぞれのロースタリーへ行ってみてください。それぞれの美学や哲学が詰まった空間で、素敵な出会いや体験をしてくださいね。
インタビュー:高綱草子 Kaya Takatsuna
]]>焙煎士特集インタビューのラストを飾るのは、東京・蔵前にコーヒースタンドとロースタリーを構える「Leaves Coffee Roasters(リーブスコーヒーロースターズ)」の石井康雄さんです。週3日しかオープンしないロースタリーは、常にリーブスのコーヒーを求めて多くの人で賑わいます。
葉は枯れ、再び新芽が出るのを繰り返し、木の幹は年輪を重ねていくように、常に新しいことにチャレンジしながら、古きを温め、幹を太くしてきたいとの想いで名付けられた店名。店内の棚には、デイリーコーヒーと並んで、どこにもないような珍しい品種や製法を施した、希少なスペシャルティコーヒーがラインナップ。その反対側には、世界で一台しかない、カスタマイズしたオールドプロバットの焙煎機が置かれています。
さて、石井さんは、これまでどのような人生を歩み、なぜコーヒーの世界に辿り着いたのでしょうか。
—幼い頃はどのような子供でしたか?
漫画に書いたような、みんなを束ねるガキ大将でした。親は基本厳しい親でしたけど、やりたいことに関してはなにも言わなかった。今思えば、もっとレールを引いてもらったほうがよかったかな、小さい頃から夢追い人でした。
—小さい頃になりたかったものは?
漠然とプロスポーツ選手になりたかった。それで女の子にモテそうなものは一通りやってきたんですけど(笑)、結局自分には格闘技が向いていました。生まれ育った清澄白河は、今のように治安が良い街ではなかったので、自分が強くならなきゃいなくちゃいけないといつも思っていました。
—それでボクシングを?
はじめたのは中学3年。毎日ボクシングやって、高校2年の時にプロになって、後楽園ホールでデビュー戦をしました。
—高校生でプロなんて凄いですね。ボクサー生活はいかがでしたか?
きつかったですね、試合も減量も。僕は短期集中型なので、試合前の減量は1週間で17キロ落としてました。でも、19歳の時に試合中、粉砕骨折しちゃって引退しました。10代だったし、これからもっと上にいって、いつか世界チャンピオンになろうっていう目標があったので、突然明日からのことが何も見えなくなっちゃって。僕の描いていた人生は一旦そこで終了しました。
—10代でそんな挫折を味わったのですか。
しかも、同時に子供ができたんですよ。それでお金も必要になって、 それから暫くは生活費を稼ぐことに集中しました。大企業の子会社の営業や建築業、それから飲食業、、、となんでもやりました。上の子はもう少しで成人です。父親を見て育ったせいか、安定した会社に入りたいって言ってます。
—そんな大きなお子さんの父親でもあるのですね。コーヒーと出会ったのは、それから暫く経ってからですか?
深煎りはずっと飲んでましたけど、コーヒーに強く興味を持ったのは、友人からお土産でいただいたコーヒーを飲んだ時、ストロベリーみたいなフレーバーがして驚いたことがきっかけです。今思えばエチオピアのナチュラルだったんですけど。それが2010年頃で、それをきっかけにいろいろ飲むようになって、自分で美味しいコーヒーを探すようになって、そしたら自分で淹れるようになって、淹れるのが上手くなったら今度は誰かに飲ませたくなって。
—どこかでコーヒーの勉強はしたんですか?
いや、ボクシングもそうだし、自分が本当に好きなことは、先生をつけたくなかったんですよ。先生が「Aが答えだ」って言ったら、自分は「Bだ」と思ってもAをやらなきゃいけなくなるじゃないですか。もちろん参考にする方はたくさんいますけど、あくまで参考。一切習ってないし、習いたくなかったし、全部自分で納得してやりたかったんですよ。だから、どこにも所属したことがないです。その代わり、教わってしまえばきっと1年で辿り着くところを、5年かかったりしていることもあると思います。
—リーブスの前は、何をしていたんですか?
実は飲食業界にはずっといたんです。2010年に人形町にスペインバルをオープンしています。それから2店舗目を門前仲町に出して、1年半ずつ新店をオープンしていって、フレンチ、アメリカンダイナー、、、ようやく5店舗目からコーヒー専門店にフォーカスすることができました。
—そんなにたくさん飲食店を経営者されてきたのですね。では飲食店をすべて含めたら、ここは石井さんにとって何店舗目なんですか?
7店舗目です。スタンド(蔵前にあるリーブスのコーヒースタンド)が6店舗目。でも、ちょうどコロナがあっていろいろ整理したので、今自分が経営してるのは、リーブスコーヒーブランドだけです。
—そうですか。でもやはり、前々から食には精通しているのですね。
昔から嗅覚と味覚はすごく敏感でしたね。でも実はジャンクフード大好きで、ラーメン、ピザ、、、などなにかしら毎日食べる生活を35年間続けてました。それで、その生活にちょっと限界を感じてきて、2年前くらいからグルテンフリーに変えて小麦を一切絶ったら、体質も変わり、嗅覚と味覚が抜群に良くなって、次のステージに行きました。
グルテンフリーにすると腸内環境が整って脳にもいい効果をもたらすみたいです。以前は、小さいことですごく悩んでましたけど、今はなんとかなるだろうっていう考え方に変わりました。
—お店を蔵前にオープンしたのはなぜですか?
地元だし、川が好きなので、川が近くに流れている場所に出したかったんです。今あるコーヒースタンドのそばで、焙煎の環境が整うところを探していました。
—オープンしていかがでしたか?
プレミアムなコーヒーと、日常に溶け込ませるコーヒーを半々くらいに置いて、両方同じくらい購入していただいていますし、売り上げもずっと変わらず、ずっと良いです。自分の理想の形になってきていると思います。
僕が目指してるブランドは、地域密着プラス、非日常。飲食あがりなこともあって、「飲食=非日常」だと思っているんですよ。だから日常に溶け込ませるスペシャルティコーヒーと、世界レベルな非日常のコーヒーが気軽に飲めることの両立をすごく大事にしています。
—素晴らしいです。良い状態でお店を続ける上で大切にしていることはありますか?
僕の座右の銘は、会社のスローガンでもある「謙虚な心で感謝の気持ちを忘れずに」なんです。だんだんブランドも、個人のスキルも成長していくと、誰でも必ず奢る気持ちって出て来るんで、一回奢っちゃった時に、この言葉をぱしっとおこうかなって。それは僕も従業員に言うし、逆に従業員も僕に言ってくれるし、すごくいい関係ができているのかなって思います。
—LEAVES COFFEE ROASTERS(リーブスコーヒーロースターズ)の名前の由来は?
葉っぱが再生することを意味しています。葉は枯れて落ちて、また新しい葉がついてっていうのを繰り返している間に、木の幹はどんどん大きく太くなっていく。僕はそれを目指していて、新しい技術はどんどん取り入れながら、根本は変わらず、さらに成長させていきたいです。どんどんチャレンジしていって、それが合わなかったり、検証してだめだったりしたら、潔く捨てる。取り入れる力と捨てる力。温故知新をすごく大事にしています。
—素敵ですね。ところで、そういう発想はどこから?
降りてきます(笑)。
—え!急に?
はい。自分の言葉は常に探してはいますが、誰かの言葉を参考にすることはないです。みんなが笑顔になるにはどうしたらいいのかな、っていうところが主体になって、いろいろ言葉が生まれてくるのかな。
—これからコーヒーの世界で活躍したい人にアドバイスお願いします。
継続は力なりっていう言葉があるように、自分が信じていることだったらやり続けることが大事なんじゃないかなって思います。あとは、そこに愛がないとダメです。嫌々作ったものは美味しくないし。そこに愛があれば、絶対大丈夫だと思います。
夢と需要と供給のバランスっていう言葉をよく使うんですけど、売れるからって大量生産して売っても、全然好きじゃなかったら長続きしない。たとえちょっとしか製造できなくて、買いたいものはたまに買えるくらいかもしれないけど、最終的に生きて行けるお金が手元に残って、すごく大好きなことで愛のある仕事ができるのなら、それでいいんじゃないかな。それが良い人生だと思います。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★
今、海外からも、競技会に出場するコーヒーのプロからも注目される東京の人気ロースタリーは、一見スタイリッシュでクールに見えますが、石井さんのお話を伺うと、それまでの苦労や努力、人情味溢れる下町気質の人柄や、コーヒーへの情熱が垣間見え、そのギャップがさらにこのお店の魅力になっているような気がします。
後半は、焙煎のことやこれから実現したいことなどを伺っています。お楽しみに。
インタビュー:高綱草子 Kaya Takatsuna
]]>森崇顕さんインタビュー後半は、焙煎のことを中心に、森さんが生きる上で大切にしていることや、好きなもの、美しいと思うもののお話を聞かせていただきました。コーヒーのお話だけでなく、ワインのことから北海道にオープンしたアイヌ博物館のことにまで及びます!
—森さんは焙煎人というイメージが強いですが、焙煎に特化したのはなぜですか?
うーん。別にテクニカルなことをしているわけじゃないですけど、買付けと繋がっているというところでしょうか。僕の主な仕事は、買付けと焙煎ですかね。買付けてきたものをどうやってうまくお客さんに伝えるかっていうところの、最大のポイントが焙煎ですよね。
—焙煎の魅力は?
うーん、なんでしょう、、、。責任。生産者に対して、お客さんに対してもそうですし。
—とても興味深いです。では焙煎は、どうコーヒーに影響すると思っていますか?
なんだろう。やっぱり、良い悪いは別として、その人のカラーが出ると思うんですよ。それがお店のカラーにもなると思うし大事かなって思います。その上で抽出を組み立てるって、僕はそういう風に考えているんで。
—そういう意味では森さんの焙煎の強みはなんだと思いますか?
選んでくる生豆もそうなんですけど、 酸が綺麗で飲みごごちが良いものが好きだし、そういうものを作りたい。それは普段食べてるものの嗜好とも一致するはずです。
—森さんは、コーヒーだけじゃなくて、ほかの食にもとても造詣が深いですね。
商売にはしてないのでちょっと違いますけど、ワインが好きで飲むし、フランスに行ったときも自分が好きな生産者を訪ねたし、 そういう意味ではコーヒーもワインも区別なく考えてます。僕のこと知っている人は、「森さんのコーヒーって、森さんが好きなワインと一緒よね」って言いますね。
結局普段好きなもの、摂取してるものと同じベクトルで、同じ視線で見てるんですよね。ナチュラルワインが好きで繋がった人も、僕のコーヒーを好んで飲んでくれてるし。自然にある酵母で作った、畑のぶどうの味が出てくるような、あんまり飾らず、できればなにも足さず作ったものが好きだし、プロセスでごちゃごちゃしてるのはあまり扱わないし好きじゃないです。自然に体にしみこんでくるようなワインが好きだし、コーヒーが好きです。
—では、美味しいコーヒーとはなんですか?
飲みごごちが良いコーヒー。綺麗な酸。あとは、余白は欲しいかな。「どやどやどや!」っていうコーヒーよりは、飲み手が入り込むスペースは用意しておきたいなと思います。
—その余白は焙煎によってつくれるんですか?
そう思っていますし、抽出でもつくれると思います。
—焙煎機はなぜプロバットを使っていますか?
単に好きですね、車みたいなものです。使い心地も、見た目もそうだし、古いものが好きだし、独立する前からいろいろ使って来たけど、プロバットは温かさがあるかな。国産車じゃなくて、クラシックカーに乗るような。乗りたいものに乗るって感じですかね。
—生豆を選ぶ時、大切にしていることは?
難しいです。もちろん点数をつけるわけですけど、それだけじゃない気がします。客観的な点数よりも自分は美味しいって感じたなとか、逆にお店のバリエーションを考えたときに、点数は高いけどちょっと違うなぁっていうのもありますし。点数は伸びなくても、うちのお客さんは好きだろうなぁとかもあります。あとは、実際日本に持ってきたときに、経時変化で印象が大きく変わるものもあるので、それを踏まえて選びます。
—コーヒーの世界で一番影響を受けた人がいれば教えてください。
あんまりいないけど、挙げるとすれば、基本の心構えを叩き込んでくれた札幌のマスターかな。それから、エチオピアを訪れるきっかけを与えてくれたのは、森光さん(珈琲美美の森光宗男。2016年に他界)。森光さんはモカが好きでエチオピアやイエメンを旅していて、亡くなる前に、僕と、後藤さんと闌館の田原さん(珈琲蘭館の田原照淳)の3人をエチオピアに連れて行ってくれたんですよね。それが大きかったかな。亡くなるちょっと前でしたし、はっきりとはおっしゃらないですけど、福岡の若手にバトンを渡したいみたいな気持ちがあったのかなって。それをきっかけに関係性をつくらせてもらったので、エチオピアは隔年で行ってます。
—素敵なお話ですね。ところで、久留米のコーヒー文化はどう捉えてますか?
福岡はいろんな有名人がいますけど、久留米でスペシャルティコーヒーといえばあだち珈琲さんと当店くらいで、福岡の都心部のお店と違って、生活圏なので豆が断然売れます。それに、久留米絣とか藍染などの文化があるし、久留米は日本有数の酒蔵の数を誇ります。ものづくりが合っている土地なのかな。
—これからコーヒーの仕事を続けたい人にアドバイスをお願いします。
難しいですね。コーヒーを愛してあげて、コーヒーのことを思っていればちゃんと返って来ると思うんです。目先のことじゃなくて、おのずとアイディアが浮かんで来たりとか、ロースター目線でいうとそうかな。売れる計算ばっかりするんじゃなくて、自分が美味しいって思うコーヒーをちゃんと伝えるっていうか、そしたら見てる人は見てるし、伝わるかなって思います。
—社会で気になることや心配してることは?
そうですねぇ。コーヒーの現場を見に行ったりするので、自分にできることはちょっとしかないと思うんですけど、本当に自分ができる範囲でやれることをやるってことですね。大きな問題をあまり考えられないので、生産現場から「困ってるんよ」って言われればなんとかしてあげたいし、それしかできない。それが次に繋がっていくと思っています。大きく考えると打ちのめされるし、もうそれは縁ということなのかなとも思います。
—森さんの人生でもっとも大切なことは?
対象をちゃんと見つめたいですね。豆にしても、なんでこれがこうなって、こういう味になるのか。どんな畑なんだろう、どんな品種でどんな作りをしてるんだろうって、そこを知りたいから産地に行くし、作っている人に会いにいくわけだし。僕は食べたり飲んだりすることが好きなんで、そこから対象を見つめる。そこから焙煎につながっていくんで、自分というフィルターを通して何かを出すときには、その「見つめる」っていう行為が大事なのかなって思います。その代表的なのがコーヒーなのかなって。
—人生とコーヒーはどういう関係ですか?
自分にとって、別にコーヒーじゃなくてもいい気がするんです。でもやってる以上は一生懸命やろうと思っています。じゃあコーヒーが何よりも好きかって聞かれたら、そんなに自信がないんですよ。無いと生きていけないかって言われるとそうでも無いと思うし。でもコーヒーを通して、見つめて知っていくっていう行為は凄く好きで、そこは愛してるんですけど。でもこれがワインでもそうなっていたかもしれない。だからそこは、コーヒーに動かされている感はありますね。
—では、森さんにとって、美しいとはなんですか?
時間があるもの。古いものもけっこう好きだし、モノの表面に時間の形跡がみえるものも、クラシックなものが新しく作り続けられているものも好きです。いろんな人の考えや、時間が感じられるもの。コーヒーもそうだし、ワインもそうだし、その背景が感じられるものに美しさを感じます。
—そういう意味で最近美しいと思ったものはありますか?
アイヌ文化かな。今、アイヌ文化に興味を持っていて、ちょっと前に休みをとって北海道に行っていたんです。札幌から車で1時間くらいのところに、「ウポポイ」という国立アイヌ民族博物館がオープンしたので、博物館のある白老町や、もともとアイヌの大きな集落があった二風谷村を訪ねました。ちょっとまた違うんですけど、 宗教的な意味を超えて、広い意味でずっと込められてきた願いというか、祈りというか、人が受け継いできた時間みたいなものを感じたんです。
—時間をかけて受け継がれている、人の営みの美しさですか。
アイヌの作ったものが素晴らしいのは、プリミティブな暮らしから生まれたものだからだと思うんです。その背景を探るとそこにあるのは、自然と一体の思想っていうか、 熊や空もそうだし 彼らは自然を畏れて尊敬している。つまり、疑わずに信じてきたわけですよね。そういうあり方は綺麗かなって。
僕自身は宗教はなんにもないんですけど、何かを信じている人が作るものに興味があるんですよ。たとえば教会も、弾圧があって厳しい生活しながらも、少しづつお金をためて教会をつくるってどういうことなの?って。自分が信じるものがないから逆に興味があるのかもしれないです。
信じる心、祈り、時間、、、、、
そこには必ず人間がいるだろうし、単純に朽ちていったものもいいんですよね。
—これから実現したいこと、まだ叶っていないことはありますか?
悩み中ですねぇ。ひとつは自分で農園をやりたいと思っています。自社農園なら実験的なこともできるし、それをお客さんに届けられるのはいいなと思っています。 大きい農園をやってお金を儲けるのとは全然違う思考ですね。ワインは、自分で畑もやって作っているドメーヌものの製品と、ぶどうを買って作る製品があるんですけど、やっぱりドメーヌのワインのほうがよりその人があらわれているはずだって思っているので、ワインを作る過程をローストと捉えるなら、ロースターとしては農園はやりたいですね。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
謙虚でありながら深く、ひとつのことに思いやりをもって向き合い、大胆に接する。きっと森さんの中では、コーヒーもワインもアイヌ文化も境界線がないんだろうなぁと感じました。聞けば聞くほど、興味深いお話が盛りだくさんの森さんは、11月29日に川越コーヒーフェスティバルミニに来場が決定。トークショーを行います。
そしてなんと、森さんがスペシャルなドリンクを作って下さいます。
お時間あるかたはぜひ、直接森さんのお話聞いてみてくださいね。
インタビュー& 撮影:高綱草子 Kaya Takatsuna
]]>焙煎士特集では、同じ産地の同じロットの生豆を、3人のロースター達に焙煎していただきます。暮らしている場所の風土も、生きてきた人生も、それぞれのコーヒーへの向き合い方も三者三様の3人の焙煎士が、それぞれどのような焙煎をしてくださるか、また、それが飲む私たちにどのような発見をもたらしてくれるのか、ぜひ楽しんでいただきたいと思っています。
そこで、その焙煎士のひとり、福岡・久留米の人気ロースタリー「COFFEE COUNTY(コーヒーカウンティ)」のオーナーで、その技術やキャリア、お人柄が多くのプロ達からも尊敬される、森崇顕さんにインタビューさせていただきました。
前編は、幼い頃から学生時代のこと、コーヒーの世界へ入ったきっかけとなった出来事や、中米ニカラグアに渡り、農園に住み込みで働いたことなど、森さんがCOFFEE COUNTYをオープンする前の時代のお話を中心に伺いました。
—宮崎県延岡市で生れ育ったそうですが、幼い頃はどんな子供でした?
小生意気な子供でした。大人がなんか言うたびに小賢しかったとは言われますね。中学校くらいまで体も小さかったんです。
—どんなものを食べて育ちましたか?
実家が延岡市で飲み屋をやっていたのですが、自宅と繋がっていて、母親も祖母もそこで働いていたのでよく遊びに行っていました。 なので、常連のお客さん達に小料理屋にはよく連れて行ってもらうけど、ファミレスに行った記憶はほどんどないという、ちょっと珍しい環境でしたね。
—将来の夢はありましたか?
そういう特殊な環境もあって、料理人に憧れていました。あれが美味いとか、あれはだめだとか生意気なことを言っていましたね。兄弟のなかでもそういうものに対してうるさかったですね。
—宮崎にいた頃、どのような学生時代を過ごしましたか?
スポーツはバスケやサッカーをやりましたけど、得意なわけでもなかったです。高校は県立の普通の高校に行って、2年生までは成績もたいしてよくなかったんですけど、途中から火がついて勉強しましたね。理系がもともと好きですし、焙煎の思考回路は理系なんでしょうね。
—それで大学進学と同時に上京し、上智大学理工学部に行かれたのですね。もともとコーヒーはお好きだったんですか?
コーヒーは嫌いでした。缶コーヒーでもなんでも匂いが嫌いだったので、20歳くらいまではノータッチでした。
—では、嫌いだったコーヒーに興味を持ったきっかけは?
大学生のとき、美容院に行ってパーマをかけていたんです。パーマをかける時、だいたい30分くらい熱いヘルメットみたいなのを頭からかぶって、その間ってなにもできないじゃないですか。それで美容師さんが雑誌とコーヒーを出してくれて、それ飲んだ瞬間に、「あぁ、なんかコーヒーって美味しいな」って思ったんです。身動きがとれない不自由な状況でコーヒーが飲める、制限がある環境で、そういうタイミングがあったんです。
—美容院のパーマがきっかけだったとは!それから何かアクションを起こしましたか?
それでコーヒーって面白いってなって、豆とミルを買いに行きました。わりとハマると凝りたくなるタイプではあるんで、帰って豆挽いてドリップして、っていうのをはじめたのが大学生の時です。
—それでそのままコーヒー業界に進もうと思ったんですか?
あまり普通の一般企業に就職しようとも思わなかったんです。就職するか、大学院に進む友人が多いなか、僕は当時の彼女(今の奥様)が住んでいた札幌に行きました。それで、「自家焙煎珈琲店CAFÉ RANBAN」という超浅煎りをネルドリップで淹れる個人経営のお店で働き始めました。当時スタバとかはあったし、東京でもいろいろお店をまわったけど、2000年当時は浅煎りの美味しさはそこだったんですよ。
感覚的に浅煎りをリードして先取りしていたというよりは、体に気持ちがいいものというか、苦くなくて甘くて酸が綺麗で美味しいっていう、マスターが本当に好きなコーヒーをやっていたんでしょうね。学生時代から時々遊びにいったりしていて知りあいになって、そこで働かせてもらったかんじです。
—ランバンさんはいかがでしたか?
2年間働きましたが、個人経営のお店だったので、コーヒーだけでなく掃除とかコーヒー以外のことにもめっちゃ厳しくて大変でした。 それに、九州の人間が北海道で半年雪の生活するって合わないんでしょうね、しかも知り合いもほぼいない環境で。でも、そのぶん感謝してるというか、そこでの経験は大きいですし、技術的なことは置いておいても、今までコーヒーやってきて師匠といったらその人しかいないです。
—その後、九州に戻ったのですか?
それから九州に帰って、福岡のコーヒー屋さんで働きました。札幌はマスターの世界だったので、もうちょっと大きいところに行こうと思って、「珈琲舍のだ」っていう自家焙煎のサイフォンで淹れるお店で4年働きました。
僕、喫茶店が好きなんです。落ち着いた感じというか、ランチメニューがいろいろあるカフェよりは、静かに本読んでコーヒー飲んで、っていう空間ですね。
—その4年間では何を得ましたか?
なんでしょうね。そこはマスターは現場には立たないで4-5店舗を循環して、その下にマネージャーや店長がいるっていう組織だったので、それを体験したのは面白かったかな。個人の思想っていうよりは、会社の動き方を見ることができたんですね。コーヒーの値段も1杯550円くらいでそこそこいいお金もらう。ちょっとホテルのバーのような感じを想像してもらったらわかりやすいかな。
—その後は?
もう少し大きな規模の、昔ながらのロースターに就職しました。その会社はちょうど2代目に変わったタイミングで、工場で焙煎を始めて、直営店の見直しをして、ブラッシュアップを図っていたときでした。 そこに僕が入って、スペシャルティコーヒーの焙煎のクオリティコントロールや「タウンスクエアコーヒーロースターズ」という新店舗の立ち上げに関わりました。
札幌の時は、アシスタントとして焙煎するマスターのために全部準備していたけど、福岡では自分で焙煎ができるようになって、今度の店は僕が焙煎自体をコントロールできる立場になりました。
—そこをやめたのはなぜですか?
産地に行きたかったんです。北海道にいる頃から思っていましたが、コーヒーに関わっている以上は、どんなところでどんな人が作っているかを知りたいじゃないですか。当時、会社でそういう取組みをしていたのは丸山珈琲さんとか小川珈琲さんとかくらいだったので、そうじゃないならコーヒーやっていてもしょうがないな、豆をやいているだけでは面白くないなって思うようになりました。
—で、会社を辞めて産地に行ったんですね。
本当は1年くらい行きたかったんですけど、事情があって3カ月だけ中米に行きました。ニカラグアのカサブランカ農園で手伝いながら、エルサルバドルやホンデュラスやメキシコ行ったり、後藤さんの世界大会のサポート(豆香洞コーヒーの後藤直紀。後藤さんはその大会で優勝)でフランスに行って、またニカラグアに戻ったりしていました。それが2013年です。
—産地はどうでした?
それは大きかったですね。何か大きく思考が変わったかといえばそうでもないんですけど、その経験を自分のなかに持っているのは大きいです。3カ月農作業をしてみて、自分がそれをずっとできるかといったらそうじゃなくて、やっぱり自分は日本に帰って来てその人たちが作ったコーヒーをうまくお客さんに伝えなくてはいけないっていう使命感を持ったし、それでモチベーションがあがっていったっていうのはあるし。
—それで、お店をオープンしたんですね。
最初は自分のお店をやろうと思ったわけじゃないんですけど、産地を見ていろいろ知ったのに組織に戻ったら結構厳しいかもな、じゃあもう自分でやるしかないかなって、消去法ですね(笑)。
それで2013年の9月に帰国して、11月11日にお店をオープンしました。最初は卸したりローストしたりするだけで、お店をやろうって思ってなかったんですけど、 場所が通りに面していたから、コーヒーも出してみようかって。豆屋だけど、ちょっとコーヒーも飲めますっていうスタイルでした。
—福岡ではなく、久留米にしたのはなぜですか?
筑後市に住んでいたこともあったし、福岡市は遠いしコストもかかるし、お店もたくさんあるから久留米でのんびり自分のペースでやろうって思いました。 でも最初はお金もないし誰も来ない日もあったし、しんどかったですよ。しかもオープン当時は お店にニカラグアの2種類のコーヒーしか置かなかった。 実際に行って自分で買い付けたっていうのが大きかったし、そのほうがコンセプトも伝わると思ったんです。今では、久留米にしたことも、たった2種類のコーヒーだけでスタートことも、全部良かったかなって思います。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ひとつひとつの質問に、一度腕を組んでじーっと考えてから、穏やかに丁寧に、そして的確に答えてくださる姿が印象的でした。しかし、コーヒー嫌いだった森さんのベクトルをコーヒーの世界に向かわせたのは、美容院のパーマの機械だったとは!!どこに人生を変える出逢いのきっかけがあるか、わからないものですね。
後編は、焙煎のことを中心に、森さんが生きる上で大切にしていることや、好きなことについてをお話してくださいました。お楽しみに。
インタビュー& 撮影:高綱草子 Kaya Takatsuna
]]>福井駅から徒歩数分の繁華街にあるコーヒー専門店「Hands Coffee(ハンズコーヒー)」。ドアを開けると、ステッカーで埋め尽くされた1キロの焙煎機と真っ赤なベルベット生地のチェアが真っ先に目に飛び込んできます。
薄暗い照明の店内、 珍しいレコードジャケットや本がディスプレイされ、大きめの2つの水槽の中には亀と魚。「自家焙煎コーヒー専門店」のイメージとはちょっとかけ離れた世界にふと足を踏み入れた気分に。
そんな空間で、ゆっくりゆっくりネルドリップの味わい深い一杯を淹れてくださるのが、店主の伊藤雅幸さんです。
学生の頃は大人が全く魅力的に見えず、ちょっと斜に構えて世間をみていたという伊藤さんは、当時の自分を「メンタルが弱いくせに強がりで、病んでいた」と振り返ります。そんな伊藤さんを変えたのは、友人に連れて行ったもらった個人経営のカフェでした。
自由な空間とマスターの雰囲気と、年齢にかかわらずお客さんが皆フラットに接してくれる環境に触れ、伊藤さんの価値観も大きく変化。「いつかはこんなカフェをやってみたい」と思うようになり、やがてそのカフェで働くことに。
それからコーヒーの勉強を本格的に始めると、奥深さにどんどん魅了されていきます。その後、幼い頃からの憧れだったフランスへ渡り、異国のコーヒー文化も体験。帰国後は足場鳶の仕事などをして開店資金を貯めて、ついに半年後の2016年春、福井市に念願のお店Hands Coffeeを構えました。
今回のスピンオフ企画では、伊藤さんに特別に川越ブレンドを焙煎していただきます。焙煎のことや美味しいコーヒーについて、また過去に参加していただいた川越コーヒーフェスティバルの思い出などを語っていただきました。
—このお店は、どういうスタイルのお店といったらいいのですか?
基本はお客さんに合わせるスタイルではないです。うちに合う人だけがきてくれたらいいかな。お酒もあるけど、初めてきた人にはあのボトルはディスプレイなんですって言って飲ませないときがあります。
—2016年に、24歳の若さでお店をオープンされましたが当時と今は変わりましたか?
全然変わりました。うち今5年目ですが、最初の1-2年は、コーヒー屋と言えるものではなくて飲み屋に近かった。昼間から、ややこしい親父たちがきて、焼酎飲んで花札やってました。コーヒー焼くのも週1回、2-3週間焼かないときもあったし。振り返ると、当時はコーヒー屋なんて言えないくらい、つたない知識とスキルだったなって思います。それが 25-26歳の頃です。このままでは自分がやりたい形にはならないし、お店もどんどんださくなっていく。でも月々の固定費はかかるので、お客さんと自分の求めているもののギャップですごく悩んでいました。
—そこからどう変わっていったのですか?
決定的だったのは、光珈琲の小澤知佳さんに会ったことです。仕事で福井に来た時に、お客さんとしてよく店に寄ってくれていたんです。純粋にコーヒー好きで、気さくでネクタイ締めてない感じの知佳さんに出逢ったとき、酒場みたいな店だったうちを改めて見て、「これはだめでしょ」って思うようになりました。
それからは、今まで相手にしていたお客さんから距離を取るようにしました。その人達が来なくなったので、売り上げはガクっと下がりましたけど、なんとか持ちこたえて。それと同じ時期に、知佳さんから川越コーヒーフェスティバルの話を聞いて出させてもらったんです。川越が初めての県外のイベントでした。
—そうだったんですね。そこで県外のロースターさんとの出逢いがあったんですね。
そうです。ごうちゃん(G☆P Coffee Roastersの実豪介さん)やカズさん(Life Size Cribeの吉田一毅さん)、その後、同じ年のるいくん(周波数の小原瑠偉さん)とか、カクヤくん(Kakuya Coffee Standの蘆田格也さん)に出逢ったことで、彼らからはめちゃくちゃ刺激をもらってます。僕が勝手にライバル視してる。あの子らにダサい姿はみせんようにしようと思っています。それからは、大阪の井尻さん(井尻珈琲焙煎所の井尻健一郎さん)も繋がりました。少しでも近づきたくて、お店にもちょこちょこ行かせてもらってます。
—いいですね。それが頑張る原動力になってるんですね。
川越に出てからは、自分のコーヒーのことも少し見直そうと思って、金沢のサニーベルコーヒーさんにラテアートの講習にいくようになって、そこからラテのことはカズさんに聞いたり、カズさんやごうちゃんと焙煎の話したりしています。彼らはみんな、自由で楽しんでやってる感じがするんですよ。僕も今、お店オープンして5年経ちますが、どんどん面白くなっているなと思います。
—なぜ深煎りなんですか?
単純に好きで美味いと思います。深煎りってちょっと自分に寄り添ってくれる印象がある。僕はメンタル弱いし、悩む時めちゃくちゃあるんですけど、そういうときに飲みたくなるのは深煎りですね。それに、深煎りはエロいです。
—自分の深煎りが他の人と違うと思うことはどこですか?
抽出は 自分の哲学みたいなものがある程度出来上がっているんですけど、正直、焙煎て自信ないんですよ、ずっと模索中です。常に焙煎方法も配合の仕方も変えてきたし、失敗もよくしていたし。今まで誰よりもトライアンドエラーを繰り返してると思います。でも、川越出させてもらってからは自分のスキルが全部上がったし、今は厚みが出てきた感じがします。それは売り上げにも表れてますね。あとは、カフェインレスを焙煎するのがすごく苦手だったんですけど、最近は飲んでみてくださいって言えるようになりました。
—伊藤さんのカフェインレス、すごく美味しいですよね。なかなか美味しいカフェインレスってないです。
豆は以前使っていたコロンビアの農園だったので美味しくないわけがない。 じゃあなんでカフェインレスになったとたんに美味しくなくなるのか、っておふとん入った時に考えたんですよ。
いつも2ハゼ後半くらいまで焼いてたけど、なんか臭いんです。それで原因を考えたんですけど、カフェインレスって、僕の豆は、液体CO2(二酸化炭素)抽出法っていうやり方で、豆に水分を含ませて膨張させることでカフェインを抜いてるから、最初から豆がたくさん水分を含んでるんですね。だったらもっと焼いて水分をなくさないといけないと思ったんです。それからは、仕上がりは黒豆みたいで、つやっつやの状態になる2ハゼの終わりくらいまで焙煎してます。僕はそれを25gの130ccでネルで抽出しています。
—甘みはどうしてあんなに綺麗にでるのでしょう?
甘みねぇ、、、なんでしょう。心がけてるのは、しっかり中までちゃんと焼いて、でも焼き過ぎないこと。浅煎りって多いですけど、ちゃんと焼けてないのも結構あるし、逆に深煎りは深煎りで焦げてるなって思うことも多い。つまり、僕の正解だと思う範囲で正しく焼こうって思っています。
—抽出はなぜネルドリップですか?
僕がかっこいいと思う人はみんな深煎りでネルなんです。大坊さんも、井尻さんも、蕪木さんも、 豪ちゃんも、るいくんも。
—なぜだと思います?
美味いからだと思う。一度「ネルって美味くないですか?」って福井のコーヒー屋に確認したら、「美味いけどめんどくさいじゃん」って言われて。「めんどくさいだけかよ、だったらやれよ。美味しいほうがいいじゃん」って思ってからは、ネル一本にしました。
ただ、照明暗いカウンターでこんな刺青入ってる僕がネル淹れてるので、入って来ても出ていっちゃう人も増えました。それにネルは時間もかかって待たせちゃうから。でもそれもありかなって。
—伊藤さんの考える美味しいコーヒーとはどういうものですか?
邪魔しないコーヒーが美味しいコーヒー。たとえば2人で話してても、僕が思う美味しいコーヒーってその会話を邪魔しない。1人で本読んでいても、読書の邪魔をしないし、寄り添ってくれるんです。蕪木さんの本を読んだ時、「コーヒーは弱者への嗜好品」ていう言葉があって、それがめちゃくちゃしっくりきて。僕の中でコーヒーって究極のサブなんです。最高の脇役。脇役が巧いと、主演を引き立てるじゃないですか。
—では伊藤さんにとって美しいとは?
常日頃心がけてることなんですけど、僕にとっての美しいとは、バランスです。お店の配置、本の置き方、ブレンド、会話、僕は全てにバランスをとりたいし、バランスが綺麗にとれたら、それが美しいと思います。
—今回お願いした川越ブレンドはどんな感じになりそうですか?
なんだろうなぁ。イメージは、思春期の初期衝動。 僕が初めて川越行かせてもらってときの、つたない初期衝動というか、まだ青くて突っ走っていた頃を経て、ちょっとだけ成長して今こんなになりました、っていうところを出したいです。 配合はようやく決まりました。豆は、インドネシア2種とインドとブラジルの4種類を使います。
群馬から毎年お店に来てくれるお客さんもいるし、豪ちゃんもカズさんもかやさんもずっと飲んでくれてるから、ちょっとだけ発表会みたいな気分で、成長をみせられたらなって思っています。
—楽しみにしています!私は、伊藤さんと川越の親和性をずっと考えているんです。
僕、刺青入ってるし、一見怖そうって言われるんですけど、本当は内面めっちゃ弱いです。 だから、自分が居やすい場所をつくりたいし、それはコーヒーの味にも影響してると思う。深煎りは落ち着くんです。ネルドリップのトロッとした感じも低温で淹れるのも心地良い。でもこういうのは、川越に行って開花したんですよ。
—なんだか嬉しいです。最後に、これから実現したいことは?
海外にもコーヒー淹れに行きたいし、とにかくいろんなところでコーヒー淹れたいです。あとは、死ぬまでに一冊だけ自叙伝を出したい。だってかっこよくないですか?
インタビューの後、 “人に寄り添う”、“コーヒーは弱者の嗜好品”、“コーヒーは常に主演を引き立てるための脇役“という言葉がとても印象に残りました。SDGsなどを掲げて、誰ひとり取り残さない世界を作るために動き始めている今の社会に、伊藤さんの作る、そばで寄り添ってくれるような深煎りブレンドの味は、多くの人の体にも心にも、心地よく沁み込んでくれるのかもしれません。
突っ走った青春を経て、少し成長した大人の味を表現した川越ブレンド。
川越をきっかけに人生が花開いた伊藤さんの焙煎。どうぞお楽しみください。
【イベント情報】
川越コーヒーデイズ(川越コーヒーフェスティバルスピンオフ)
オンライン焙煎士特集
インタビュー& 撮影:高綱草子 Kaya Takatsuna
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